あなたの知らない「地域サッカー」の世界
華やかなJリーグの世界は、多くのサッカーファンにとってお馴染みでしょう。全国ネットで試合が中継され、スター選手たちがメディアを賑わせる。しかし、その光の届かない場所にも、同じくらい、あるいはそれ以上に熱い情熱を燃やすサッカーの世界が広がっています。それが「地域リーグ」です。
今回ご紹介するのは、兵庫県の播磨地域を拠点とする関西サッカーリーグ1部のクラブ「Cento Cuore HARIMA(チェントクオーレハリマ)」。JFL、そしてJリーグへの昇格を目指すこのクラブの物語は、単なるピッチ上の勝敗だけでは語り尽くせません。その活動の裏側には、地域社会と深く結びついた、驚くべきストーリーが隠されています。
この記事では、チェントクオーレハリマというクラブを通して、地域スポーツのユニークな魅力を伝える5つの意外な事実を掘り下げていきます。これを読めば、あなたのサッカー観が少し変わるかもしれません。
選手はプロじゃない?介護士や会社員として働くアスリートたち
Jリーグの選手はサッカーで生計を立てるプロフェッショナルですが、チェントクオーレハリマの選手たちは違います。彼らは皆、サッカー選手であると同時に、もう一つの顔を持っています。
クラブの公式noteには、彼らの現実がこう記されています。
私たちのリーグではプロ契約という形態ではなく、選手全員が何らかの仕事とサッカーを両立しています。
驚くべきことに、選手の中には介護施設で働く者もいます。これは、クラブのスポンサーである「日の出医療福祉グループ」が設ける「スポーツ枠」採用によるもので、報告書によれば12名の選手がこの制度を利用して介護職員として働きながら、サッカー選手としてのキャリアを追求しています。
練習や試合に打ち込む傍ら、会社員や介護士として地域社会を支える。この二足の草鞋を履く選手たちのひたむきな姿勢は、彼らを遠い存在の「アスリート」ではなく、同じ街で働く「仲間」としてファンに認識させます。この共有された日常こそがJFL昇格という目標に特別な重みを与え、クラブと地域の絆をより強固なものにしているのです。
6回も名前が変わった?クラブの波乱万丈な歴史
チェントクオーレハリマの歴史は、決して平坦なものではありませんでした。その証拠に、クラブはこれまでに6回も名前を変えています。この事実は、クラブが地域の中でいかに長く、そして複雑な道のりを歩んできたかを物語っています。
その変遷を辿ってみましょう。
- 兵庫教員サッカー部 (1976年)
- 兵庫教員蹴球団 (1977年 – 1987年)
- セントラルスポーツクラブ神戸 (セントラルSC神戸) (1988年 – 2002年)
- セントラル神戸 (2003年 – 2004年)
- バンディオンセ神戸 (2005年 – 2007年)
- バンディオンセ加古川 (2008年 – 2019年)
- Cento Cuore HARIMA (2020年 – 現在)
1976年の教員チームから始まったクラブは、拠点を移し、運営母体を変えながら、播磨地域全体をホームとする現在の形へとたどり着きました。この名前の変遷は、単なる記録以上の意味を持ちます。それは、時代の変化に対応し、地域と共に生き抜いてきたクラブのレジリエンス(回復力)の証であり、その存在自体が播磨地域の物語の一部となっていることの証明なのです。
名前の意味は「100の心」。地域と共に歩むという決意
現在のクラブ名「Cento Cuore HARIMA」には、クラブの哲学が凝縮されています。「Cento Cuore」とはイタリア語で「100の心」を意味します。これは「沢山の人々の心が一つに集い、兵庫・播磨地域を代表したクラブになる」という願いと、Jリーグが掲げる「百年構想」の理念を実現するという決意が込められています。
この名前は、かつての名称と比べると、その変化が一層際立ちます。前の名前「バンディオンセ」は、スペイン語の「Bandido(山賊)」と「once(11)」を組み合わせた造語で、「荒々しく戦う11人の山賊たち」をイメージしていました。
「11人の山賊」という内向きで闘争的なアイデンティティから、「100の心」という地域全体を巻き込む包摂的なフィロソフィーへ。この改名は単なるイメージチェンジではありません。それは、地域の中に「存在する」チームから、地域のために「存在する」クラブへと進化するという、明確な思想的転換を示す、決意表明そのものなのです。
運営権を買収したのは地元の園芸用品メーカー。異色のタッグが目指すもの
2025年、クラブに大きな転機が訪れます。トップチームの運営権を、加古川市に本社を置く園芸・防犯用品メーカー「株式会社ムサシ」が取得したのです。サッカークラブと園芸用品メーカーという、一見すると異色の組み合わせです。一見異色に見えるこの組み合わせですが、地域に根を張り、人々の暮らしを豊かにするという点では、園芸もスポーツも同じ哲学を共有しているのかもしれません。
ムサシの目的は単なるスポーツビジネスへの参入ではありません。彼らはサッカーチームを「社会変革の有力な手段」と位置づけ、スポーツを通じて街のウェルビーイング(幸福)に貢献することを目指しているのです。
この決断の背景には、チームを支え続けてきた代表・大塚靖治氏の揺るぎない情熱があります。
「この街にJクラブを」「プロスポーツチームをつくる」ただその想いを胸に、誰に何を言われようとブレずに突き進み、9年前解散の危機に陥ったチームを立て直してきました。
地域を愛する企業のビジョンと、クラブを守り抜いてきた人物の情熱が交差するこのパートナーシップは、日本の地域スポーツにおける新しい資金調達と連携のモデルを提示しています。これは単なる広告塔としてのスポンサーシップではなく、企業がクラブを「社会変革のパートナー」と位置づける社会投資の一形態です。播磨地域で起きているこの動きは、地域クラブの未来が、街の広告枠ではなく、街の未来そのものに投資する企業によって支えられる可能性を示唆しています。
試合会場が「朝市」に?サッカーを超えた地域との繋がり方
チェントクオーレハリマにとって、ホームゲームは単なる90分間の試合ではありません。それは、地域住民が集う一大コミュニティイベントなのです。
ホームスタジアムの一つである日岡山公園グラウンドでの試合開催時には、スポンサーのムサシが手がける「ムサシオープンデパート朝市」が同時開催されます。グラウンド沿いに飲食や物販のブースが立ち並び、まるでJリーグのスタジアムのような賑わいが生まれます。これにより、サッカーファンだけでなく、週末に公園を訪れた家族連れも気軽に楽しめる空間が創り出されているのです。
さらに、試合後にはファンと選手が直接交流できる「アフターマッチファンクション」が恒例となっており、下部組織であるアカデミーの子どもたちがボールボーイを務めるなど、クラブ全体で試合を盛り上げています。これらの取り組みは、チェントクオーレハリマにとってホームゲームが単なる90分間の試合ではなく、地域住民が一堂に会する「祝祭」であることを示しています。サッカーを通じて人と人、地域とクラブが深く、本質的に繋がる場所—それこそが、このクラブが創り出す最大の価値なのかもしれません。
まとめ: クラブが育む、地域の物語
選手は地域で働き、クラブは幾多の変遷を乗り越え、その名に「100の心」を刻む。地元の異業種企業が「社会変革」のために手を携え、試合の日にはスタジアムが地域の市場に変わる。チェントクオーレハリマは、もはや単なるサッカークラブではありません。それは、播磨という地域の回復力、情熱、そして共創の精神を映し出す鏡のような存在です。
クラブの本当の価値は、JFL昇格という目標の先に広がる、ピッチ外の豊かな物語の中にあります。地域に愛され、地域を動かす力。それこそが、これからのスポーツクラブに求められる姿なのかもしれません。
あなたの街のスポーツチームは、どんな物語を持っていますか?

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