ラグビー界では近年、選手の安全性を高めるため、タックルの高さに関するルールが大きく変わりました。胸骨より下へのタックルが義務化され、多くの人が「とにかくタックルを低くすれば良い」と考えがちです。しかし、この変更はそれほど単純な話ではありません。このルールは、選手のスキル、コーチの指導法、そしてラグビーの戦術そのものに、静かだが根深い地殻変動を引き起こし始めています。
この記事では、この「低く攻める」という新時代の潮流がもたらす、あまり語られていない4つの意外な真実に迫ります。単なるルール変更の解説ではなく、善意から生まれたこのルールが引き起こす意図せざる結果も含め、その裏側で何が起きているのか、一緒に探求していきましょう。
1. 驚きの事実①:「とにかく低く」は、子どもたちにとって危険な教えかもしれない
安全のためのルール変更が、育成年代の選手たちに新たなリスクをもたらす可能性がある――。これは非常に重要な視点です。日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が公開した「A級コーチガイダンス」では、特に小学生・中学生年代への指導に警鐘を鳴らしています。
指導者が「とにかく低く」と過度に強調することで、子どもたちが頭から突っ込むような「飛び込むタックル」を多用してしまうケースが懸念されています。このようなタックルは、タックラー自身の頸髄損傷や肩の脱臼といった重大な怪我のリスクを著しく高めるのです。さらに、過度に強化された低いタックルは、ボールキャリアの内臓を損傷させるリスクを高める可能性も指摘されており、結果的に双方の選手を危険に晒すことになりかねません。
ガイダンスでは、この点について次のように明確に述べています。
過度に低いタックルを求める必要もなく、過度にタックル練習ばかりを増やす必要もなく、今までよりも、高いタックルを減らすという意識で指導して欲しい。
この言葉が示す本質は、ルールの目的を見誤ってはいけない、ということです。目的はあくまで「ハイタックルを減らし、頭部への衝撃を避ける」ことであり、「低くタックルすること」は手段に過ぎません。手段が目的化してしまった時、本来守るべき選手の安全が逆に脅かされるという皮肉な事態を招きかねないのです。
2. 驚きの事実②:新ルールで本当に問われるのは、2人目のタックラーの「判断力」
新ルール下で、ディフェンスの成否を分ける鍵として浮上してきたのが「セカンドタックラー」、つまり2人目のタックラーの存在です。1人目のタックラー(ファーストタックラー)が低く入ることはもはや前提となりましたが、本当に複雑な判断を迫られるのは、その次に入る選手なのです。
「A級コーチガイダンス」によれば、ファーストタックラーが低く入った後の状況で、セカンドタックラーにはいくつもの戦術的選択肢が生まれます。それは単なる選択ではなく、瞬時の分析に基づく高度な判断です。
- 運動量を殺すプレー: 相手の腹部に入って押し返したり、ファーストタックラーにバインド(結合)して押し込んだりして、前進を完全に止める。
- ボール奪取を狙うプレー: 相手を倒しつつ、ボールに直接絡みつき、即座にボール争奪(ジャッカル)を狙う。
- 次のフェーズに備える判断: あえてタックルには入らず、次の攻撃に備えてディフェンスラインを再整備する。
この瞬時の判断が、チームのディフェンスを大きく左右します。実際に、「ガイドライン実践後のQ&A」では、「主にセカンドタックラーでよくハイタックルが取られている傾向がある」と指摘されており、このポジションの難しさを物語っています。相手の体勢が崩れたところに高い位置で接触してしまうケースが多いのです。これからのラグビーでは、セカンドタックラーの戦術的判断能力こそが、失点を防ぐための最も重要なスキルの一つとなるでしょう。
驚きの事実③:最高のタックルは、ぶつかる「前」に始まっている
多くの人はタックルを、筋力と勇気が激しくぶつかり合うコンタクトプレーだと考えています。しかし、現代ラグビーの専門家たちは、最高のタックルは衝突の瞬間に決まるのではない、と口を揃えます。その成否は、コンタクトが起きるずっと「前」の準備段階でほぼ決まっているのです。
World Rugbyが提唱する安全なタックルのためのプログラム「Tackle Ready」では、タックルを5つの段階に分解しています。その最初のステップが「トラッキング(追跡)」です。これは、単に追いかけるだけでなく、ボールキャリアとの適切な距離を保ち、いつでもタックルに入れる最適なフットワーク(足を相手の近くに置く意識)を維持しながら、ひたすら相手に近づきプレッシャーをかけ続ける技術を指します。
World Rugbyの資料には、この考え方を象徴する非常に示唆に富んだ一文があります。
不完全なタックルは、タックラーのタックルの技術よりも、ポジショニングの悪さが原因であることが多いです。
つまり、タックルミスはパワー不足や技術の稚拙さよりも、相手を正しく追跡できなかった「準備不足」に起因する、というのです。これは「タックル=パワー」という固定観念を覆すものであり、ラグビーがいかにポジショニングと状況判断を重視する、戦術的で知的なスポーツであるかを改めて教えてくれます。
4. 驚きの事実④:ボールキャリアの安全は、タックラーの新たなリスクと隣り合わせかもしれない
タックルの高さを規制する新ルールは、頭部への衝撃を減らすという明確な目的を持っています。しかし、このルール変更が本当に全体の安全性を高めているのか、慎重な見方も存在します。ある視点からは、この規制がもたらす新たな問題点が指摘されています。
主な論点は2つです。
- タックラー側のリスク増大:タックラーが常に低い姿勢を強いられることで、ボールキャリアの腰や膝に頭部をぶつける機会が増える可能性があります。これにより、タックルを「される側」の安全性は向上しても、「する側」の危険性はむしろ高まったのではないか、という懸念です。
- ゲーム性の損失:意図的ではない、偶発的な高いコンタクトまで厳しく反則として取り締まることで、試合の流れが頻繁に寸断されてしまう問題です。これにより、ゲームの連続性が失われ、ラグビー本来の魅力が損なわれるのではないか、という声も上がっています。
一つの安全を追求することが、別のリスクやゲーム性の損失といった新たな問題を生む。このジレンマこそ、育成年代の指導からトップレベルの戦術まで、ラグビー界全体が向き合わなければならない現実なのです。
結論:安全と進化の狭間で、ラグビーはどこへ向かうのか
今回見てきた4つの事実は、「タックルを低くする」という一見シンプルなルール変更が、いかに多層的で複雑な影響をラグビー界に与えているかを示しています。育成年代への指導法、2人目のタックラーの戦術的価値、コンタクト前の準備の重要性、そしてタックラー自身が負う新たなリスク――。タックルというプレーは今、大きな変革期を迎えています。
この変化を前向きに捉える声もあります。ラグビー日本代表のスコット・ハンセンDFコーチはかつて、「安全なタックルがベストタックルにつながる」と語りました。これは、安全性の追求が、結果としてより洗練され、効果的な技術の進化を促すという力強いメッセージです。
プレーヤーの安全を守り、誰もが楽しめるスポーツであり続けるために、ラグビーはこれからどのようなスキルと知性を選手に求めていくのでしょうか。その答えを探す旅は、まだ始まったばかりです。
以上です。
ご一読ありがとうございました。

![]() |
新品価格 |



コメント